村はこんなところ
村の周辺に暮らす先住民族について
この辺りには主にパハリア族とサンタル族が住んでいる。サンタルとはインドの先住民(アーリア-人ではない人々)の中でもかなり大きな民族で、彼らは南のほうから移住してきて、この辺りの平原に住みついた。サンタル族は狩がうまく、戦術に長けていたらしい。なのでイギリスがインドを統治したときも、サンタルはその支配に屈しなかった。そこでイギリスは、東のほうからパハリア族を連れてきて、サンタル族と戦わせることにした。サンタル族とパハリア族の戦いは決着が付かず、サンタル族は平地に、パハリア族は森に住むことになった。2つの民族は御互い言語がまったく違い、家の建て方も違う。サンタル族は道沿いに村をつくるし、パハリア族は森の中に不規則に村を作る。
彼らは今でこそお互い話したり仲良くするが、違う民族の家へ行ってもご飯を食べることはない。また、違う民族での結婚もほとんどない。でも子どもたちはそんなこと関係ないかのように、学校を通じてお互い知り合い、言語を自然に学んでいる。
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●サンタル族の村●
プロジェクトの建物はは平地にあったので周りはほとんどサンタル族の村。
村と村の間は徒歩20-30分くらい。
どの村にも井戸がちゃんとあるのは日本のODAのおかげ(?)
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●サンタル族の服●
女性はサリーも着るが、普段はこの写真のように2枚の布を組み合わせて着ている。スカートみたいなのはルンギと呼ばれていて、筒状の布を腰に巻いたもの。男性も同じルンギを着る。
ルンギの色は圧倒的に青のチェックが多いが、これは多分マーケットで今流行ってるんだろう。
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●家●
家はインドの農村で多く見られるように、レンガか土、コンクリートで出来ていて、屋根は瓦か藁葺きが多かった。土で出来た家は夏涼しく夜暖かい。自然の知恵である。
大抵は小さな台所、寝室のほかに家畜を入れるスペースを持っている。
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インドの先住民族とアーリア人
私達が普段インド人と呼ぶのはアーリア人である。彼らは北のほうからインドに攻めてきてその地を支配した。肌の色は少し黒いが、日本人と同じ位の人も多い。先住民族はインドにはとてもたくさんいる。大抵は肌が黒く背が低く、農村に住んでいる。先住民族は農村にいるために貧困層がほとんどである。
村の設備・環境
現在のところ村には電気・ガス・水道のどれもなく、ランプに火を灯し、ポンプで水を汲み、川で水浴びをする生活である。あるいて1時間ほどの町には電気が走っているので、この先インド政府の意向によりこの辺りにも電気がくるかもしれない。(遠い先の話であるが。)Dakshinayanではソーラー発電をしてランタンをつかっていた。他、週に一回くらいソーラー発電でテレビをみることもできた。(でもヒンズー語だし白黒だしあんまり見なかった。)
学校は政府が公立学校を建てたが、先生が来ていないのであってないものである。なので教会がミッショナリースクールを開いて、Dakshinayanのような学校が民間学校を開いて教育を補っている。
医療は車で3時間の町にいけば病院にかかることができる。だがお金が高い。村の周辺では教会やNGO団体がちょっとした薬、手当てを行っている。また、ハーブをつかった薬草の栽培、村人への生活習慣の指導なども行っている。しかしマラリヤで死ぬ人も多い。
私の行った村のあったJharkhandとその隣のBiharという州はインドで最も貧しい州だ。それは先住民族が多く住んでいるからである。たくさんのインドNGO、海外NGOがこの地域の人々を助けるためにがんばっている。
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