Travel in India インド農村生活と一人旅


 インドーパキスタン情勢


 イスラム教徒とヒンズー教徒の抗争


あたしがインドに行くことを決めたときには、インドのグジャラート州でヒンズー教とイスラム教の争いが起こっていた。これはインド北部ウッタルプラデシュ州の聖地アヨディヤで、モスク (イスラム寺院) 跡地にヒンズー教至上主義団体がヒンズー寺院建設をしようとしたのがはじまりだった。インドでは少数派とされるイスラム教徒が怒り、2月末にグジャラート州でイスラム教徒による列車放火事件が引き起こされた。乗客のヒンズー教徒六十人近くが死亡した。それからは州都のアーメダバードなど各地で両教徒による流血の衝突が相次ぎ、 三月初めまでの数日間で七百人以上の死者が出る大惨事となった。
私がこのニュースを知ったとき、インドにいっていいものか悩んだが、Dakshinayanが村はグジャラートから遠いから大丈夫、といったので行く事にした。

私が村にいた頃新聞を毎日読んでいたが、グジャラート州はじめ、各地でのイスラム教徒(ムスリム)迫害の記事は多かった。マイノリティであるムスリムの迫害は農村地方で強く、村から追い出す、家に火を放つ、威嚇する…もっとひどかったのは、ムスリムの子どもを誘拐して親の前で虐殺する、若い娘を家族の前でレイプしたあとに殺すなど、とても考えられないようなものだった。これらの報道はきっと私の読んでいたローカル紙には出るものの、日本の国際面には出ていないと思うと苦しかった。

ヒンズー教が優勢の村から追い出されたムスリムたちは、村に戻る条件として@ヒンズー教への改宗、A牛を殺さない、牛肉を食べない、Bヒンズー教の女性をかわかわない/手を出さない、Cヒンズー教徒とケンカしない、Dインド反対/ヒンズー教反対のスローガンを掲げない、E新しいムスリムの移住を認めない、Fヒンズー教の祭りに参加する(でも荒らさない)。私は宗教を持っていないが、これらの条件があまりにも厳しい事くらいはわかった。5月15日の新聞では、それまでに8000人のヒンズー教徒と65000人のムスリムが住んでいた土地を追い出され、900人以上が死亡したと報道していた。

 カシミールでの衝突


カシミールの領土問題は半世紀前から続いていた。しかし、2002年5月におきたカシミール危機は、米国で起きた同時多発テロが遠因となっていた。米軍のアフガン攻撃によって、タリバンに参加していたイスラム過激派がカシミールに逃げ込んだ。その結果、イスラム過激派がインド支配地域で「越境テロ」を起こすようになった。カシミールのジャムという都市でバス爆破テロが起きたのがきっかけとなった。

インドは、パキスタン当局が過激派を背後で操っているとみて、パキスタンとの対決姿勢を強めた。通常戦力でインドの2分の1と劣るパキスタンは、核弾頭搭載可能といわれる中距離ミサイル「ガウリ」、短距離ミサイル「ガズナビ」「アブダリ」の発射実験を行って威嚇し、一気に緊張が高まった。インドとパキスタンが戦争をはじめれば必ず核戦争になる…と世界は不安になった。このニュースは日本でもずいぶん伝えられたようである

 戦争か!?


諸外国のほうが警戒心を強め、まずイギリスとアメリカが旅行者のインド・パキスタンからの国外避難を命じた。はじめは注意喚起レベルだったのが警告にまであがってしまったのだ。ニュージーランドやいくつかの国はインドへのビザの発行を中止した。そんな中、当のインドにいる人たちは「戦争なんて起こんないよ」とずいぶん気楽なものだった。村のスタッフも「戦争がおこってもこんな田舎は平気」と言っていた。インドが攻撃されたらまず攻撃されるのはデリーなどの都市だが、デリーですら別に避難する人もいなく、日常が繰り返されていた。ただ、新聞では連日印パ情勢を伝える記事や戦争に関するコラムが載っていた。

6月6日、日本政府はインド旅行者に対して「緊急の仕事などがない限り、直ちにインド国外へ退去するように」と警告した。またインドへ旅行する人に延期勧告を出した。このころインド方面にむかう飛行機は週1本程度となってしまったらしい。何か事がおこれば、もし戦争がおこってしまったら日本に帰れるんだろうか…?情報源は毎日の新聞しかなくて、日本とも連絡をつけられずに不安だった。

Dakshinayanにも日本大使館から連絡があったらしい。ビザ発行のときの現地連絡先がDakshinayanになっていたからだろう。スタッフは「無理に帰れとはいわないが、状況を踏まえてよく考えて欲しい」といった。


 初めての電話


その数日後、あたしはバイクで2時間の電気が通っているGodaという町へ電話をかけにいった。ここからは国際電話がかけられるのだが、よく故障しているとのことでけっこう不安だった。

電話屋のおじさんに番号をみせてダイヤルしてもらうがなかなかかからない。暗くなるまえには村に帰らなければならないし、時間は限られてた。でも、絶対日本で心配している家族や彼氏に連絡をとらなければならなかった。

1時間ほどねばったとき、やっと家につながった。ひさびさにお母さんの声をきいた。「かなこだよ」というとまず「おーーー」と驚かれた。あたしはとても気分が高ぶって、自分が興奮しているのがわかった。長い間お母さんの声が聞きたかったことに気がついた。

そして、今いる村では安全な事を告げた。電話をする前はその後2週間くらい村にいようと思っていたのだが、なんでも親戚がみんなお母さんに電話して「かなこはどうしてるんだ!?」と聞いてくるらしく、お母さんは早く帰ってくることを要求した。あたしはとりあえず次の週には村を出て、インターネットや電話ができるカルカッタへ移動する事にした。万が一戦争がはじまっても、カルカッタにいれば日本へ帰る飛行機に乗る事ができる。とにかく、連絡がつく都市へ移動する、ということで合意した。

その後また20分ほどダイヤルしつづけて、やっと彼氏の家にもつながった。久々に聞く声に泣きそうになりながら、なんとかさっきお母さんと決めた予定を話した。これからはメールもできるようになるから、と言ったら喜んでいた。話したいことはたくさんあったけれど、村からの電話は高かったので用件だけ告げて電話をおいた。

久々に聞いた家族と彼氏の声に胸がいっぱいになった。スタッフの運転するオートバイの後ろに乗りながら、しばらくは涙がとまらなかった。その日は夜までずっとご機嫌だった。




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