一人でのカルチャーショック
一人
これまでに何度も話題になったが、今回の農村生活で辛かったのはボランティアが一人だったということだった。何でも好きなように出来るし、一人でラッキーじゃない、って考え方もあった。でもカルチャーショックを受けたことがある人はわかると思うが、自分の感じたことや理解を他人と共有することは、異文化に入りこむ上でとても重要な過程だ。だから、一人で消化しきれなくなったり、理解に苦しんだり、寂しさにつぶされそうになった。
これもインドーパキスタン情勢が悪化したせい。あーやめてくれドンパチは(涙)
5月は「6月になれば新しいボランティアが5人も来る予定なんだから」と思っていた。が、それも印パ情勢のせいで各国大使館が自粛を要請したために、結局6月も誰もボランティアはきてくれなかった。
カルチャーショック
電気も水道もない生活。それだけで十分なカルチャーショックだった。しかし、彼らの文化に対してもいくつかカルチャーショックを抱いた。
たとえばThank youといわない文化。貸したものは投げっぱなし、あげたものは壊す、何かしても当然。それは子どもだから、というのもあるのだろうが、それでも自分がつくった折り紙をごみ箱にぐちゃぐちゃに捨てられていたら、さすがにあたしも黙っていられなかった。気が短いあたしにはどうも適応できなかった…。
他にも、女性が生きにくい文化、コミュニティーでうごく文化、農村の文化などいろいろとあった。混乱したときはスタッフに聞くか、手紙に書いて自分の考えをまとめるようにしていた。
でも、とてもとても深くDepredded(落ち込む)になったときは、本当はいけないのだが、私はアウトサイダーで一生ココにいるわけではない、気を楽にもって、そのうち良くなるから、と考えるようにした。1ヶ月半の滞在は、日本にいるときに考えれば長く感じるが、この村では本当に短い期間だった。この期間では少しのことしかわからないし、少ししか溶けこめなかった。
わかったことはたくさんあった。自分についてもたくさん考えた。自分の弱さにも直面することになった。
そして異文化は、そこに同化や適応する必要はなく、理解するのでいいんだ、時には理解に苦しんでもしょうがないさ、とわかったらカルチャーショックが解けていった。
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●ハイビスカス●
北海道で育つ私は、ハイビスカスをはじめてみた。とてもきれいだった。
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