Travel in India インド農村生活と一人旅


 村に行くまで


 はじめての電車移動


村への移動は、まずデリーから電車でJasidihへ行くことから始まった。Jasidihはどちらかと言うとカルカッタに近い。地図でいうとパトナのあたりだ。インドでは電車移動が主な移動手段になっていて、旅行者も電車にまつわる話は多い。(電車については別ページで詳しく書きます。)

電車にはNGOスタッフの一人ラジカナと乗ったが、彼はエアコンなし車両で私はエアコン付き車両(ちょっと値段が高い)だったため、翌日の昼Jasidih駅についてからホームで待ち合わせることになった。おいおい、初めての電車移動が女一人かよ、と怒ったが仕方ない。なんとかなるだろーと思って乗りこんだら、いきなり車両を間違えた(笑)インド人に「この席は俺のだ!」と言われて周りを巻き込んだ騒動になった。発車3分前にあわてて別車両に飛び乗った。先が思いやられる。

寝台で相席だったのはバングラディッシュからの兄弟3人であった。やさしい3人なのだが英語が通じない。私はヒンズー語がまーったくわからなかったので、ボディランゲージで無理やり会話した。いや、多分まったく通じてなかったのだろうが、まあそれは良しとする。しかしそれも疲れてきたのでさっさと寝ることにする。盗難の話はたくさん聞いていたので、荷物をかかえて靴も抱え、狭い寝台で小さくなって寝る。エアコンが効きすぎていて寒くて寒くて寝れず、起きたら案の定風邪をひいていた。

 Jasidhiから村へ


村は駅の近くにあるわけではない。駅の近くは電気も走っているし、一応ちょっとした街になっているけれど、私がいくのは電気もない村。ここからタクシーで4時間走ることになる。本当ならばこのボランティアには毎月3-4人申し込みがあって、みんなでタクシー代をシェアするんだけれど、今回は他のボランティアがキャンセルしたため私一人。「そんなーーー!」って文句言ったらタクシー代はNGOと半分ずつ負担することになった。インドでは言った者勝ちの精神をすでに学んでいる。

電車移動で疲れていたのにタクシーの移動だって疲れる。エアコンはないし、シートは固いし、ドライバーとスタッフはヒンズー語でしゃべっている(涙)。ただただ外を見つめ、村につくのをひたすら待った。

外の風景はだんだん変わっていき、荒野になり、その後は同じ風景が続いた。たまーに農村が現れる。農村というか集落、くらいの大きさだ。おいおい、あたしが行くのはいったいどんな山奥だよ、と今更ながら不安になる…。

●村へいく途中●

4時間の車移動の中、ほとんどの道路がアスファルトだった。これも日本のODAのおかげ。村の奥の方まで道路は作られている。しかし、山奥になると作った後の手入れがされていないので、トラックが往来していると道路は穴だらけ。で、逆に事故がおきるそうだ。駄目じゃん。
●村の近くの風景●

ここはどこだ…と言いたくなった(苦笑)一面に木の他はなにも見えない風景。日本の農村とも全く違う風景。私の住んでいたどの街とも違う風景。遠くに来てしまったな、と少し胸が痛んだ。


 村へ到着


やっと村についた時には体が悲鳴をあげるくらい疲れていた。私が住むところはプロジェクトの建物があるところで、2つの村の間にあった。プロジェクト地につくと、そこで暮らす7人の子ども達が出迎えてくれた。これから一緒に暮らす子どもたち。初めが肝心、とちょっと緊張する。

子ども達は11歳前後の男の子達は英語でしゃべるが、6歳くらいの女の子は英語がわからない。しかし男の子は女の私には近づいてこない。これは大変そうだ…とちょっと憂鬱になる。

プロジェクトの建物は至ってシンプル。説明をうけてご飯をたべて、その日は8時ごろすぐに寝た。私の部屋は石造りの6畳くらいの大きさ。窓と棚とベッドしかない。電気がないから何もできない。暑い。蚊帳のなかに入って彼氏の写真をみたら涙が出てきた。ここに一人でいることは、どう考えても辛かった。今までボランティアが一人だったことはなく、いつも数人が仲良く暮らしていたらしい。早速寂しさがこみ上げてくる。誰か一緒にいてくれたら。どうして自分で選んできたのに、泣かなければならないの?しかも早速明日から英語を教えてくれ、と言われている。やりかたは好きなように、と。今までどこまで教えていたとか、どんなことを教えたとかの情報もない。どうすれと言うのだろう。

次の日、電車の中でひいた風邪とストレスから熱が出て、動けなくなった。学校はお休みさせてもらった。

その次の日、はじめてバケツで水浴びをし、洗濯をした。ここでなんとか自分の生活をしなければ。とりあえず皆と同じことを色々真似てみる。

近くの別の団体でボランティアをしているスコット(オーストラリア人)と出会った。ひさびさに英語で話せる外国人と会い、私の不安を話したら少し楽になった。

●プロジェクトの建物●

小さな建物は学校も兼ねている。まわりに井戸、台所があって他は畑。プロジェクトのまわりを石の塀がめぐらせてあって、一応他の村とは区別してある。
ボランティア用の部屋は3人くらいが入れる部屋だけれど私一人では広い。蜂の巣があって、今日から蜂が同居人


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